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昭和15年創設 ”飲んでうまいお茶”にこだわり続けて70余年


昭和16年 旧工場完成祝賀会の時
樹齢数年の茶文字がうっすら見える

富士東製茶農業協同組合は、静岡県掛川市の東部(東山地区)に位置し、標高532mの粟ヶ岳の麓に集落する組合員28名の専業農家茶工場です。


 東山地区のシンボルマーク「粟ヶ岳」の中腹にヒノキで植えられた茶の大文字。その粟ヶ岳の麓に広がる大茶園の中に当工場は建てられております。


 弊組合は、昭和15年(1940年)組合員16名による設立以来、霊山・粟ヶ岳のふもとにて、富士東のお茶として栽培・製造をしてまいりまして、今日に至っております。

 設立当時は戦時中ということもあり、若者がいない中での操業は大変な困難を強いられました。しかし終戦後は、経済が次第に安定し、年毎の茶価の上昇とともに農業経営はお茶の生産に重点が置かれるようになってまいりました。


 昭和30年代に入り、『飲んでうまいお茶』の研究にいち早く取りかかり、それまでのお茶の常識を根底から覆し、茶業界を揺るがすほどの製法による、


「深むし茶」


を確立しました。

 深むし茶はご覧の通り、茶葉が細かく粉が多く、見た目は下級茶の様をしておりますが、出したお茶は水色が緑色、味はコクがあり、甘くまろやかであります。世にこの深むし茶を出して以来、工夫を凝らしつつ栽培方法・製法を継承し、今日の深むし茶あるいは、富士東銘茶へと成熟させてまいりました。

 組合伝を振り返りますには、明治32年(1899年)、有志20余名による共同製茶立ち上げ(数年後解散)の記録があり、その41年後の昭和15年(1940年)に大久保共同製茶工場設立委員会を発足、翌年『富士東共同製茶工場』と命名し、1番茶から操業いたしました。

 昭和19年(1945年)17名の新加入により、今日の富士東の骨格ができました。昭和36年(1961年)粟ヶ岳山頂に茶粗栄西禅師像を建立し、毎年4月5日には、供養慰霊祭が行われております。なお、銅像の土台には設立発起人として富士東製茶生みの父・萩原郁太郎(当時組合長)の名が刻まれております。

 昭和37年(1962年)農協法に準じ『富士東製茶農業協同組合』と正式に改組。昭和56年(1981年)に創業以来40年の歴史を刻んだ木造の製茶工場を閉鎖し、新農業構造改善事業により、新工場を現在の地へ移転建設いたしました。深むし茶が掛川茶の代名詞となり、全国へ広まっていったのはこの頃からであります。

 昭和58年(1983年)には、全国茶品評会において農林水産大臣賞を受賞し、深むし茶としての製茶技術、お茶の質の高さが認められました。
 平成2年、農林水産祭において内閣総理大臣賞受賞。記念として平成4年に、工場敷地内に富士東会館を建設し、小売部作業場を設け、本格的に富士東銘茶の小売り体制を築きました。また同時に現在の商品名でもある5種類の銘柄『あわんたけ』『ちゃのもじ』『まんだいら』『すわのはら』『てんのやま』の発売を開始いたしました。

 平成19年には、静岡県茶品評会において史上初の農林水産大臣賞と静岡県知事賞の同時受賞を達成。受賞記念としまして『プレミアムティーバッグ』を商品に追加いたしました。


 平成20年、世界緑茶コンテストにて、『プレミアムティーバッグ』が最高金賞を受賞。青年部製造、在来茶「加久良~在来三昧~」が金賞を受賞。製品(荒茶)のみにあらず、商品としても富士東銘茶の名声を高めた受賞となりました。

 ここに、粟ヶ岳、深むし茶と歩みを刻んでまいりました弊組合の由来を略記し、平素の皆々様のご愛顧に感謝いたしますとともに、幾久しく御引き立ての程よろしく御願い申し上げます。

平成23年 県茶品評会 農林水産大臣賞&県知事賞W受賞記念

深むし茶のふる里 富士東製茶農業協同組合謹白